身寄りのないガン患者 退院後の行先 愛の実践 キリストの愛

ガン ステージ4

私の知り合いの84歳の女性が肺がんになりました。ステージ4とのことでした。

抗がん剤治療の拒否

手術をすることは、年齢的にも難しく、ご本人は抗がん剤による治療を拒否したので、あとは痛みや呼吸苦などの症状を和らげる緩和ケアに移行するしかないという状況であったので、病院に入院することになりました。

病院に入院はしたものの、緩和ケア病棟の入院期間が2週間がマックスであったことと、麻薬による痛みのコントロールも落ち着いたため、退院することになりました。

退院後の行先

さて、退院した後自宅に帰ることになりましたが、本人は一人暮らしのため介護をしてくれる人がいません。

退院してもほとんどベッドで過ごすことになるわけですので、24時間介護をしてくれる人がいなければ、生きていくことができません。

毎日のように、ケアマネージャーや社会福祉士などが訪問してくれ、本人と相談しながら、社会資本を使って、介護施設などに世話をしてくれようとしましたが、彼女は自宅で生活することを望みました。

このような状況の中で、世話をしなければなりません。

食事の介助や排せつ、オムツ交換、体位の交換、通院の付き添い、医師や訪問看護士との連絡調整等々やることは山ほどあります。

しかも24時間です。

そして、何よりつらいのは、病状が悪化していく姿を、毎日目の前で見ることです。

このような状況の人を誰が引き受けてくれるでしょうか?

愛の実践

そんな状況の中、この方を自分の自宅に引き取り、世話をしてくれる人が現れました。

その方は、ガンを患った方と同じクリスチャンです。

同じクリスチャンで同じ教会に属する者であっても、死ぬことがわかっている人を自分の自宅に引き取り、介護をすることはなかなかできるものではありません。

まして、この方は数か月前ご主人を亡くされ、その後の片付けもまだ終わっていない状況だったのです。

しかも、その方のお嬢さんも快くそれを受け入れてくださったのです。

そのような状況の中で、こうした行為をするということは、まさにキリストの愛を具体的に実践したことにほかなりません。

互いに愛し合いなさい

イエス・キリストは聖書の中で、『あなたがたも互いに愛し合いなさい』と何度も言われました。

言葉では理解できますが、これを日常生活の中でどのように実践していくのかは難しいことです。

困った人に手を差し伸べる、その人の必要に応えてあげる、こうしたことを行動に移すことはなかなかできることではありません。

一時的ならば、できるかもしれませんが、いつまで続くかもわからないことを行うというのは、まさにキリストの愛(無償の愛)がなければできないことです。

今が一番しあわせ

ガンにかかったこの女性は、ご主人を亡くされ、数年前には最愛の子息を亡くされ、絶望の中に生きていました。

しかし、神様の不思議な導きによって、教会へ導かれ、ガンを患いはしたものの、同じ教会員の家で介護を受けながら、最後を迎えることができました。

この方がいつも口にしていたのは、「今が一番しあわせ!」でした。

継母に育てられ、幼少の時の辛かった時代、結婚し子供が与えられ、数十年間は幸せな暮らしをしたものの、ご主人に先立たれ、最愛の一人息子を失った悲しみそして自分がガンに侵されて、彼女は生きる希望を失っていました。

終わりよければ、すべて良し!

しかし、人生の最後を「幸せ!」と言って迎えられることはなんとすばらしいことでしょうか?

苦しみや悲しみ、悩みや痛みはあったとしても、人生の最後を「幸せ!」と言って閉じられることは、『終わりよければ、すべて良し』ということが言えると思います。

この方を引き取り、最後まで面倒を見たこのクリスチャンにイエス・キリストの愛の姿を見せられました。

人は一人で生きていくことはできない

身寄りのないガン患者を自宅に迎え入れ、人生の最後まで寄り添おうとする人の姿は、大切なことを教えてくれます。

「人は一人で生きていくことはできない。そして、人は誰かの支えになることができる。」ということです。

血のつながりがなくても、人は人を大切にすることができます。

家族ではなくても寄り添うことができます。

そして、一人の人間が、一人の人間の人生に寄り添うことによって、「最後まで一人ではなかった」という人生をつくることができるのです。

このガン患者の方は、そのことを私たちに思い起こさせてくれました。

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