松任谷由実 『春よ こい』 隠されたメッセージ

TOKYO, JAPAN – NOVEMBER 27: Singer-Songwriter Yumi Matsutoya speaks during the Asahi Shimbun interview on November 27, 1987 in Tokyo, Japan. (Photo by The Asahi Shimbun via Getty Images)

松任谷由実

 

松任谷由実さんは、優れたアーティストとして、これまで数々のヒット曲を世に送り出してきました。

・春よ、来い(1994年):同名のNHK連続テレビ小説の主題歌、ミリオンセラーを記録した名曲

・真夏の夜の夢(1993年):TBS系ドラマ『誰にも言えない』の主題歌、自身最大のシングル売り上げ(ミリオンセラー)を記録

・ルージュの伝言(1975年):新井由美名義の初期の代表作。スタジオジブリ映画『魔女の宅急便』のオープニング曲

・やさしさに包まれたなら(0974年):新井由美名義の楽曲。映画『魔女の宅急便』のエンディング曲としても有名

・守ってあげたい(1981年):映画『ねらわれた学園』の主題歌やテレビ番組のエンディング曲として親しまれたヒット曲

・ひこうき雲(1973年):荒井由美名義のデビューアルバム及びジブリ映画『風立ちぬ』の主題歌

・恋人がサンタクロース(1980年):冬やクリスマスの定番ソングとして長年愛されている楽曲

このほかにもまだまだヒットした曲がたくさんあります。

 

『春よ、来い』

 

この中で、『春よ、来い』というが楽曲があります。

 

この曲は、NHK連続テレビ小説『春よ、来い』の主題歌として、用いられ大ヒットした曲ですね。

 

ドラマの内容は、脚本家橋田寿賀子の自伝的小説を原作とする、女性の自立を描いたドラマでした。(1994年10月3日~1995値年9月30日(全307回)放映。

 

松任谷由実が『春よ、来い』で訴えたかったことは、

単に、季節の春を待つだけではなく、「激動の時代における喪失の悲しみを乗り越え、未来への希望(春)をたぐり寄せる」という強いメッセージが込められています。

 

聖書から見る『春よ、来い』

 

「春よ、来い」の歌詞には、松任谷由実さんが意図してか否かにかかわらず、実はキリスト教(聖書)のメッセージや終末論、そしてキリストの復活と深く重なる比喩がいくつも存在します。
なぜ、聖書的な解釈をするかというと、松任谷由実は学生時代ミッション系の学校で中・高校時代を過ごしたので、聖書についての知識を多少なりとも持っていて、キリスト教の文化や精神性を自分なりの目線で受け入れていると思うからです。
西洋の芸術において「春」はしばしば「キリストの復活」の象徴ですが、この曲の歌詞を聖書的に解釈すると、
「過酷な試練(冬/死)のあとに、必ず訪れる救い(春/復活)への切なる祈りと希望」の歌として読み解くことができます。
聖書的な視点から、いくつかのキーワードを深く解釈してみます。

聖書的な視点

1. 「春」= メシア(救い主)の再臨と「復活」
 聖書(旧約・新約)において、冬は「罪」や「苦難」「死」を表し、春は「生命の息吹」「イエス・キリストの復活」「救い」を象徴します。
歌詞で何度も繰り返される「春よ、来い」という切実な願いは、キリスト教における「主よ、来てください(マラナ・タ)」という、救い主(メシア)の再臨を待ち望む信仰者の祈りと完全に一致します。

聖書の背景:旧約聖書の『雅歌』2章11-12節にはこうあります。「見よ、冬は過ぎ、雨もやんで、すでに去り、もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時がきた。」                      つまり、苦難の時代が終わり、神の祝福(春)が来ることを預言する美しい描写です。

 

2. 「沈丁花(じんちょうげ)」= キリストの香り
歌詞に登場する「沈丁花」は、早春に強い香りを放つ花です。
聖書(コリント人への手紙第二 2章15節)では、信仰者の生き方やキリストそのものを「キリストの香り」と表現します。

また、沈丁花の花言葉は「永遠」「不滅」「栄光」です。肉体は滅びても、その人が遺した愛や、キリストへの信仰(面影)は、かぐわしい香りとなって永遠に残り続けるという、「永遠の命」の教えに重なります。
3. 「光立つ俄雨」= 試練のなかの「神の恵み」と「聖霊」
冒頭の「淡き光立つ俄雨(にわかあめ)」、つまり天気雨(狐の嫁入り)の情景です。

聖書において「雨」は、神が天から注いでくださる「恵み」や「聖霊」の象徴です。また「光」は神そのものです(ヨハネの手紙第一 1章5節:「神は光であって、神には少しの暗いところもない」)。

暗い雲(試練)の中でも、同時に神の光が差し込んでいるという描写は、「どんなに激しい試練(雨)の中でも、神の恵みの光は常にあなたを照らしている」という、聖書が教える「希望」のあり方を視覚的に表現していると言えます。
4. 「きみにあずけし我が心」= 神への全面的な信頼(信仰)
「きみにあずけし我が心は 今でも返事を待っています」というフレーズ。

これを聖書的に見ると、「神(キリスト)にすべてを委ねた(預けた)魂が、神からの応え(救い・祈りの聞き届け)を忍耐強く待っている状態」と解釈できます。

信仰の大切さ


聖書では、人間が神を待ち望む姿勢(信仰)の大切さが繰り返し説かれます。(詩篇 130篇5節:「私は主を待ち望みます。わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます」)。
5. 「瞼(まぶた)閉じればそこに」= 見えないものを信じる信仰
「瞼閉じればそこに 溢れる君の目眩(めくるめ)く青き姿よ」

目で見える現実(厳しい現実や孤独)ではなく、目を閉じて心(霊)の目で「君(神/愛する存在)」の輝かしい姿を見る。
                                  これは、新約聖書の核心である「信仰とは、望んでいる事がらを確信する」(ヘブル人への手紙 11章1節)という教えそのものです。      現世の苦難を超えた先にある「天国(パラダイス)」や「神の栄光」を、霊的な目で見つめている姿と言えます。

✝️ 聖書的解釈のまとめ

「春よ、来い」を聖書的に解釈すると、それは単なる失恋や別れの歌ではなく、「今は目に見えなくとも、そしてどんなに厳しい冬(試練)の中にいようとも、いつか必ず訪れるイエス・キリストの救い(春)と、永遠の命の再会を固く信じて待ち望む、魂の賛歌(讃美歌)」として非常に深く味わうことができるのです。

春よ、来い

淡き光立つ俄雨 いとし面影の沈丁花 溢るる涙の蕾から      ひとつひとつ香り始める

それはそれは空を越えて やがてやがて迎えに来る          春よ遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君の懐かしき声がする

君に預けし 我が心は 今でも返事を待っています どれほど月日が流れても ずっとずっと待っています

それはそれは明日を超えて いつかいつかきっと届く        春よまだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき 夢をくれし君の眼差しが肩を抱く                               夢よあさき夢よ 私はここに居ます 君を思いながら一人歩いています 流るる雨のごとく 流るる雨のごとく

春よ遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君の懐かしき声がする   春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき 夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く

春よ遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君のなつかしき声がする 春よ遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君の懐かしき声がする   春よまだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき 夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く・・・

 

 

 

 

TOKYO, JAPAN – NOVEMBER 27: Singer-Songwriter Yumi Matsutoya speaks during the Asahi Shimbun interview on November 27, 1987 in Tokyo, Japan. (Photo by The Asahi Shimbun via Getty Images)
タイトルとURLをコピーしました