サムエル・ウルマンとマッカーサー

サムエル・ウルマンの詩

サムエル・ウルマンの書いた『青春』という詩があります。

この詩がなぜ世に知られるようになったのかをご紹介します。

昭和天皇とマッカ-サー元帥

第二次世界大戦後、1945年9月27日に昭和天皇が初めて民間人と並んでツーショット写真を撮られた部屋の壁に掛けられていた詩がこの青春の詩(英文)でした。

天皇は、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーに敬意を表すためにモーニングに身を包み駐日アメリカ大使館を訪れました。

昭和天皇とマッカーサー」写真は3枚あった。なぜあの1枚が選ばれ ...の画像

戦後処理

マッカサーは、天皇を軍司令部に呼び出し、日本を植民地にするために天皇に言い渡すつもりだったのです。

敗戦国の指導者

普通、歴史を見た場合、戦いに敗れた国の指導者は、たいてい亡命か自分の命乞い、または自分に責任はないと自己弁護をするのが普通です。

しかし、天皇がマッカーサーと謁見して、最初に発した言葉は、「私はともかく日本国民を助けてほしい。」だったのです。

これを聞いたマッカーサーは、いたく感動して日本を植民地にすることをとどまったと言われています。

天皇とマッカーサーとの会見は11回に及びました。

マッカーサーの座右の銘

話を戻すと、このマッカーサー元帥の執務室には、友人のJohn W.Lewis氏(カーネル大学教授)から贈られたサムエル・ウルマンの『青春』の額が掛けれれていて、彼はこれを座右の銘としていつも執務室に飾っていました。

もっとも、作詞者のサミエル・ウルマンは、当時は全く無名で、アラバマ州の人だということ以外は全く知られていませんでした。

この詩を見つけた日本人

この詩を、ある日本人(岡田 義夫氏説が有力:明治24年 埼玉県生まれ 元「東京香毛織OB)が見つけ、とても感動して、漢詩風に翻訳しました。

これがのちに松下幸之助氏(松下電気、今のパナソニックの創業者)の眼に止まり、あるインタビューでこの詩を紹介して、雑誌に掲載されてから、一躍有名になりました。

エドワードケネディへの弔辞

また、ロバート・ケネディ(故 J・Fケネディ大統領の弟)が弟のエドワード・ケネディへの弔辞に、このウルマンの詩の一節を引用した話も有名です。

その後、色々な人が、サミエル・ウルマンについて調べた結果、近年になって、アラバマ州のバーニングハム市に、ウルマンが晩年に過ごした家が見つかり、彼の作成した他の詩も発見されました。

サミュエル・ウルマンの画像

JASA(日本協会)が、1993年に日米親善事業の一環として、その家を買取り、現在も「ウルマン記念館」として運営されています。

アメリカに行く機会があれば、是非ウルマン記念館に足を運んで、ウルマンの残した他の詩も味わってみては如何でしょうか?

『青春』の詩を日本語で示しておきます。


『青春』

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。

優れた想像力、逞しき意志、燃える情熱、怯懦を却る勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。

歳を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に、初めて老いがくる。

歳月は皮膚の皺を増すが、情熱を失う時に精神は萎む。

苦悶や孤疑、不安、恐怖、失望、こういうものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

歳は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く「驚異への愛慕心」、空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。

人は年と共に若く  疑惑と共に老いる

人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる

希望がある限り若く 失望と共に老い朽ちる

大地より神より人より、美と嘉悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも覆い尽くし、皮肉の厚氷がこれを固く閉ざすに至れば、この時にこそ人は全く歳老いて、神の憐れみを乞う他はなくなる。

 

 

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