心の断捨離

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引越し なにを捨てる?

3月は移動の季節。

引越しで新しいステージにいく方も多いでしょう。

引越しで苦労するのが、なにを捨てるかです。

私は、今年の正月休みに、個人の蔵書のうち約100冊の断捨離を決行しました。

学生時代から、いつか読もうと大切に持っていたのに結局読んでいない本などが山のようにたまっていたからです。

20 年経っても読んでない本を、これから読む時間があるとは考えられませんし、10年後に読むのかと考えると、今の年齢でそんな体力も残っていないはず・・•••。

ということで、私にとっての蔵書は大切な「宝」ではありますが、思い切って断捨離をしたわけです。

断・捨・離

断捨離の「断」は、「入ってくるいらないものを断つ」という意味。 

「捨」は、「家にはびこるガラクタを捨てる」という意味。 

「離」は、「モノへの執着から離れ、ゆとりある本当の自分に出会う」という意味が込められているそうです。

主役はなに?

今回の断捨離で発見したのは、私の中に蔵書 への「執着」があったのだということです。

たとえば、私の家の台所にコンビニやスーパーでもらった箸がたくさんあります。

使えるか否かと問われれば、使えます。

でもどうしても必要かというと、そうでもない。

なのに、いつか使えるだろうということで、引き出しの中にとって置いてあるのです。

本来モノは「私が使う」から価値があるのですが、「これは使えそうだ」というふうに、モノが主語になっている、つまり、主役の座をモノに明け渡していることになるのです。

私たちはふだんいろんなモノに囲まれて生活しています。 モノだけではありません。

人との付き合いであったり、仕事であったり、それらのモノに囲まれていると、自分の人生なのに、自分が主役ではなくて、そういったものに引きずり回されている自分にすら気づかないことがあるのかもしれません。

聖書

聖書は、神様と向き合っているうちに、失ってしまった本当の自分を見いだすことができるようになると教えています。

モノに向き合っていると本当の自分を見失うけれども、神様と向き合っていると、本当の自分を見いだすことができるようになるのです。

『心の断捨離』と言っていいかもしれません。

私たちは今日、どこに心を向けているでしようか? 

単なるモノにではなく、愛と真理の源である神に心を向けたいと思います。

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